建築への目覚め
従来から、営業マンでありながらほとんどのプランニングは自ら行っていました。が、あくまで量産型の発想で、お客様の要望に従った「間取りごっこ」でした。
しかし、叔父の手がけた住宅は建築的でした。プランニングの感覚、使われている言語までが、まったく異なりました。外構計画と植栽の重要性や、開口部と空間で人の心がどう揺さぶられるかという、空間心理学ともいえる手法なども学びました。
「お前は伝統的な建築も好きなようだから、吉村やレーモンドを勉強するといいよ」とアドバイスされ、それを皮切りに片っ端から図書を読みました。この頃から旧家などの伝統的建築も巡りはじめ、建築がどんどんと好きになっていきました。
建築に目覚めたころに、住宅の断熱に大きな転機がありました。次世代省エネ基準への改正が行われ、当時、「外断熱ブーム」が沸き起こります。勤めていた会社でも断熱の強化へかじを切り、東京大学の坂本雄三教授をコンサルタントに招き入れ、毎月のように断熱の教育を受けさせてくれました。
そんなあるとき、1冊の本に触れる機会がありました。それは西方里見氏の著書である「外断熱が危ない!」というベストセラーです。そこでは断熱工法の良し悪しではなく「低い建築コストで最大の効果が出るものこそが優れている」と、具体的な設計手法を公開していました。この本を手垢で黒くなるまで読み返しました。
起業への転機
長岡市にて営業マンをしていた当時、2004年に新潟県中越地震、引き続いて2007年に新潟県中越沖地震が起こります。
被災家屋の建て替えを通じて社会のお役に立てると張り切っていましたが、現実はそうではありませんでした。ハウスメーカーの金額では高すぎて手が届かないというケースばかりでした。
気が付くと、長岡から柏崎の広範囲のエリアの建て替え需要がごっそりと失われたことを悟りました。これを機会に今後を考え「自分の理想とする住宅像を実現させよう」と、40歳のときにエリアを新潟市へと移し、起業する決意をしました。
起業に際しては資金が限られていました。アイフルFC時代に教わったことは、創業資金として3000万円以上は必要だということ。しかし、手持ちは一ケタ少ない。モデルハウスはもちろんのこと、広告やパンフレットの資金もありません。
そこで、商品説明や情報発信の機能をインターネットに落とし込むことに注力しました。ホームページのコンテンツを充実させ、日々の活動はブログなどで積極的に情報発信することにしました。
会社の規模をあまり大きくせず、一邸一邸、高品位な住宅をつくっていけば業界の片隅で生きていけるだろうと考えました。こうして生まれた「情報発信」を軸とした高効率なビジネスモデルが、我々の大きな強みです(詳しくは別の回にて)。
昨年完成した本社屋。トリプル樹脂サッシと200㎜断熱でQ値1.1
相模氏が考える工務店の王道の3要素と実践
1.情報発信
巨大企業でも中小工務店でも、HP やブログにおいて立場はイーブンだ。生身の人間の何倍もの成果を生み出すのがネットの力で、取り組みの巧拙が存亡を決めると考える。
2.差別化
まったく差別化のない家づくりは価格勝負でしか顧客便益をPR できない。地域のブランドにならねばならない。ファンからのご指名の行列をつくり出せば、競合も値引きも消え失せる。
3.地力
良い家をつむぎ出し、お客様から支持されるには、企画力、設計力、現場管理力というスタッフの実力が必要だ。トータルの「地力に勝る」工務店であることが前提条件だ。
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