みやじまなおみ
家の中で時代の流れを感じるものは数あれど、とりわけ「便所」→「トイレ」の変遷は目を見張るものがあるのではないでしょうか。
まだ下水処理施設が十分整っていなかった昭和40年代、わが家のトイレも「ポットン便所」でした。すでに「ポットン便所」を知らない年代の方も多いと思いますが、和式スタイルで深い穴に向かって用を足し、ある程度たまったら「くみ取り屋さん」を呼ぶのです。登山道などでときおり見かける、あのトイレです。
もちろん、そのままでは臭くてたまらないので、取っ手のついた板のふたがあり、用を足すときだけふたを外すのですが、それでもにおいがきついので、さらにきついにおいの芳香剤でにおいを消していました。
さらに、トイレの上のほうにあるねじ回し式の窓や、細くて小さなはき出し窓から虫が入ってくるので、誘引剤がついたリボン状の粘着テープを天井から吊るし、寄ってくる虫を捕獲していました。
この経験から、私は「網戸」のありがたさを痛感し、今現在も、決して網戸なしに窓を開け放つことはしていません……。
また、トイレットペーパーも今のようにロールになっていなくて、箱の中にB5サイズぐらいの四角いちり紙(表面はガサガサだった)が無造作に重ねて置いてありました。ウォシュレットに自動洗浄、脱臭装置までついて快適な今のトイレとはえらい違いです。
こうやって書くと「衛生的にどうなの?」とも思いますが、昔はこれが当たり前だったんですよね。
ただ、大人ならなんなく用が足せる当時のポットン便所ですが、子どもにとってはときとして危険な場所になりました。トイレ用の大きなスリッパをはき、便器をまたぐときに、そのスリッパを穴の中に落っことして、自分もあやうく落ちそうになるのです。これは、本当に怖かった。小さい頃の恐怖体験の話になると、いつもこの光景を思い出し、ブルッと身震いしてしまいます(笑)。
それから、経験者はわかると思うのですが、いつもお尻がスースーするんですよね。子ども心に、スースーする穴の上で用を足すというのが、なんとなく怖さを助長していたように思います。
そんなスースーするトイレですから、冬はとにかく寒い!
におい対策で窓は開けておかないといけないのに、暖房的なものは何もないわけですから、雪の日なんてもう極寒です。完全に体が冷えてしまい、雪が降ると必ずお腹を壊すくせがついて、いい年になった今もそのくせが抜けていないというありさま(泣)。
今、寒暖差の激しい冬場のトイレや浴室で、ヒートショックで亡くなる方が年間1万7000人もいて、交通事故死を越えたという話を聞きますが、十分納得できる話です。
そんな思い出いっぱいの(?)トイレですが、一家の役に立ってくれたことがありました。
あるとき、何が起こったのか、家族全員が家の外に閉め出されてしまったのです。家に入りたいけれど、鍵がない! ご近所も集まってきて「さて、どうしよう」ということになりました。鍵屋さんを呼ぶのにも時間がかかります。
……とそのとき、誰かが「便所の窓が開いてるじゃん!」と。たしかに、小さな子どもなら楽に入れる大きさです。それで、一番体の小さかった3歳の妹を父が担ぎ、トイレの窓から家に入れて、玄関の扉を開くことに成功したのです!
その妹も、ときを越えてすっかり中年太りの体型に……。もちろん、そのときのことはまったく覚えていないようですが、おかげで事なきを得て、いつもの家族団らんの続きを過ごせたのでした。
みなさま今日もお便器で(!)。
みやじま・なおみ miyajima naomi 主婦ライター。有名人・著名人のインタビュー原稿を請負うほか、編集ライターとして40冊近い書籍の執筆に携わる。神奈川県横浜市の一戸建てで、家族5人、昭和40年代を過ごす。
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