みやじまなおみ
お正月は子どもの頃から楽しみな行事でした。お年玉をもらえるのが一番ですが、お正月といえば、自分の名前が書かれた箸袋が並び、テーブルにはおせち料理がぎっしりつまった三段重。私のお目当ては、栗きんとんと黒豆でした。
そして、大好きなお餅を2つ入れたお雑煮。お雑煮だけでは足りずに、お昼も磯辺焼きです。ぷぅっとふくれたお餅をつぶしながらしょうゆを絡め、コンロでちょっとあぶったのりに巻く、あの香りのハーモニーは本当にたまりません!
あとは、やっぱり着物。祖母が縫ってくれた着物を着せてもらい、その着物姿を近所に見せて歩くのがお正月のひそかな楽しみでした。
あるお正月、いろんな人に声をかけてもらいながら、兄と一緒に坂を上っていくと、一番高いところにあるKさん宅の庭から、なにやら威勢のいい掛け声が聞こえてきました。
「えい!」「ほっ!」「えい!」「ほっ!」
興味津々で庭をのぞいてみると、餅つきの真っ最中。そして、その様子を大はしゃぎしながら見ているのは……青い目をした金髪の男の子と女の子でした。男の子はちょうど兄と同じぐらい、女の子は私と同じぐらいの年でしょうか。
「わんぱくフリッパー」「ララミー牧場」「バットマン」などドラマで外国人を見たことはありましたが、当時のわが家は白黒テレビです。総天然色の本物のアメリカ人を見たのはこのときが初めてで、かなり興奮しましたね(笑)。
アメリカの子どもたちは好奇心旺盛。積極的に話しかけてきます。でも、日本の子どもだって負けていません。最初はおずおずしていましたが、すぐにうちとけて、お互いに言葉はわからないながら、一緒にお餅を食べたり、まりで遊んだりして、あっという間に時間が過ぎていきました。最後は、みんなで記念写真をパチリ。
しかし、あらためて考えてみると、勝手に庭に入り込んで、ごちそうにはなるわ、Kさんのお宅にとっては大切なお客様のお子さんと友だち気分だわ……そうとう図々しい話ですよね(笑)。
でも、この坂では、なぜかそういうことが許されていたというか、家と家との境界線がきっちり引かれていない“公共の場”のような雰囲気があったんです。そもそも玄関にカギをかけていないお宅も多かったですし、幼い頃の兄は私よりさらに図々しかったようで、昔、近所のおばさんに「居間で物音がするからのぞいたら、お宅のお兄ちゃんが茶ダンスからお菓子を出して、ソファにきちんと座って食べていたから笑っちゃったわよ!」と言われたこともあります。
それはさすがにやりすぎですが、そもそもチャイムを鳴らす子どもなんていなかったと思います。玄関先で「○○○ちゃん、遊びましょ!!」と大声で叫んで、それで誰も出てこなければ、庭にまわって、もう一度。それでもダメなら次の子の家に行く。向こうの予定なんて関係なく突撃して、遊び相手を見つけるのが普通のことでした。
親たちもふいの訪問には慣れていますから、慌てることもありません。親しい分、悪いことをすれば怒られもしましたが、近所のおじさん、おばさんにはかわいがってもらった記憶しかありません。
あるとき、「僕は橋の下から拾われてきたんだって」と本気で信じた男の子が家出して大騒ぎになり、大人たちが総出で探しまわったこともありました。そうやって子どもたちを守ってくれていたんだなと、今頃になって思います。
今の時代は、子どもがちょっとお友達の家に遊びに行くのも、相手のお母さんに気を使ってか、約束の時間を守って、お土産を持たせて、帰ってきたらお礼のメール……と、大人以上にお付き合いのルールがあって大変ですよね。そんな話を聞くたびに、あの時代を懐かしく思い出します。
みやじま・なおみ miyajima naomi 主婦ライター。有名人・著名人のインタビュー原稿を請負うほか、編集ライターとして40冊近い書籍の執筆に携わる。神奈川県横浜市の一戸建てで、家族5人、昭和40年代を過ごす。
住宅ビジネスに関する情報は「新建ハウジング」で。試読・購読の申し込みはこちら。