みやじまなおみ
私の記憶にある1階の間取りは図のような感じ。2階は子ども部屋とステレオだけが置いてある遊び部屋。もう一部屋あった気もするのですが、なぜか思い出せません。
今、夫婦で住んでいるマンションと比較するとずいぶん広いような……でも、5人家族で、母方の祖父母が年に数回、田舎から上京してきて、1カ月ぐらいは一緒に生活していましたから、家族が7人と考えると普通、いや、狭いぐらいだったかもしれないですね。
寒い季節になると懐かしく思い出すのは、ダイニングの隣の和室にあった掘りごたつです。
電気やぐらこたつというのでしょうか、ほかの季節はふたをして、おもちゃが床一面に広がっているのが日常の光景ですが、冬になるとふたを外し、床下に足置き用のすのこを敷いて、格子状のやぐらに脚部をねじ込み、こたつをセットして布団をかけ、上に天板を置いて、掘りごたつが完成!
当時はまだエアコンなんてなかったですし、1階の暖房器具といえば、小さな石油ストーブ1個とこれだけ。一度入ったら、もう出られません(笑)。
トイレに行くのも寒いのでぎりぎりまでがまんし、ついに決心してこたつを出ると「ついでにあれ取ってきて」「これ取ってきて」と……。サザエさん一家みたいなことをうちでもやっていたわけです。
ここでみかんを食べたり、トランプしたり、本を読んだり、兄と足でケンカしたり(笑)。一人で好きなことをするなら場所はいくらでもあるのに、冬は狭い思いをしながらもみんながここに集まって、肌を寄せあいながら暖かさを分け合っていたんですよね。
そうそう、クリスマスケーキもいつもここで食べていたんでした。写真は、部屋の電気を消して、これから「せ~の」で子どもたちがろうそくの火を吹き消そうというところ。よく見ると、子どもの私はどてら(丹前)を着ています。おそらくあれは祖母の手づくり。冬はそうやって寒さ対策をしていたのでしょう。
さて、そんなわが家で一大事件が起こりました。ある冷えた夜、子ども部屋でアラジンストーブをつけて寝ていたのですが、ストーブが不完全燃焼を起こしたようです。夜中近く「ママ~」と言う声がして、2階から降りてきた寝ぼけ眼の兄の顔がすすだらけだったものですから、両親は大慌て。血相を変えて2階へ駆け上がると、部屋も真っ黒。もうもうとした煙の中で、私はすやすや寝ていたそうですが、もう少しで一酸化炭素中毒死していたかもしれないと、あとで聞かされました。
それどころか、火事で家がなくなっていたかもしれません。いつもはケンカばかりしている兄でしたが、兄のおかげで家も私も助かったのです。小さなヒーロー誕生の瞬間でした。
ところが、うちのヒーローは虫が大の苦手。ようやく暖かくなり、掘りごたつをしまおうとしたところ、床下に数匹のナメクジが……。「ぎゃぁ~~~!!」と叫びながらひっくり返った兄の顔が、今も目に浮かびます。
みやじま・なおみ miyajima naomi 主婦ライター。有名人・著名人のインタビュー原稿を請負うほか、編集ライターとして40冊近い書籍の執筆に携わる。神奈川県横浜市の一戸建てで、家族5人、昭和40年代を過ごす。
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