丸三ホクシン建設(北海道石狩市)の首藤一弘さんは、20代の頃から若手大工の育成に関わり、会社としても30年近く大工の育成・社員化に取り組んでいる。今回は、長い時間をかけて「大工16人中13人が社員大工」という体制を築くまでの経緯と、給料制を成功させるコツを聞いた。【ライター 金井友子】
首藤さんが大工育成に関わるようになったのは1988年から。父が始めた丸三ホクシン建設へ1980年に入社し、大工として8年ほど経験を積み、一級建築大工技能士や二級建築士の資格をとった20代半ばの頃だ。「かつて3年間学んだ認定職業訓練校で何か手伝えることはないか、と申し出たら職業訓練指導員の道を勧められた。当時は人前でしゃべったり電話に出たり、営業的なことにやや苦手意識があり、コンプレックスを克服したい気持ちもあって快く引き受けた」と経緯を語る。
大工全滅の危機感
大工として現場に出るかたわら、職業訓練指導員として若手の育成に携わった10年の間にバブルが崩壊(1991年)。大工を取り巻く環境は様変わりした。それまで引く手あまただった大工の仕事と単価が激減し、多くの住宅会社が社内大工を切り離した。教えていた認定職業訓練校の生徒数はどんどん減り、訓練校の構成事業主も次々に手を引いた。
「大工育成の流れが途絶えていくのを間近で見て、このままでは墨付けや刻みができる大工が本当にいなくなってしまうと危機感が募った。だったらせめて自分だけでも家を建てられる大工を育て続けようと決めた」と首藤さんは振り返る。
月給制・社会保険を27年前から当たり前に
そこで、1997年頃から「大工の社員化」に乗り出した。新卒大工を採用する場合、職業訓練校に通う期間は月給制で、卒業後は日給月給制または請負制に変わるのが当時の主流であり(補助金受給の要件が通年雇用・通常賃金の支払いであるため)、今も慣習的に続いている。
だが・・・
この記事は新建ハウジング10月20日号4面(2024年10月20日発行)に掲載しています。
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