幼少期の原体験、恩師との出会い―。まるで導かれるように、建築工房零の一員となった星野さん。住宅にとどまらず、「地域の環境や社会に貢献できる」暮らしづくりに、大きなやりがいと使命感を感じながら日々を過ごしている。
東日本大震災から13年。毎年3月11日を迎えるたびに、星野佳音さんは「あの日」を思い出す。「小学校5年生の時に被災しました。実家を境目に、雪崩を打つように近所の家が倒れていきました。家って簡単に倒れるんだなって。運良く、自分の家は大きな被害を免れたんです」。
多感な幼少期に刻まれた“震災”という2文字―。その原体験から、星野さんは大切な人を守るための家について自然と考えるようになった。叔父が一人親方で、物心がついた頃から加工場に遊びに行っていたことも強く影響している。
大学進学の際は、建築を学ぼうと東北芸術工科大学の門を叩いた。「商業建築や意匠設計ではなく、自分たちの暮らしをつくり、守る、住宅設計がしたい」。そんな思いで勉学に励んだ。
竹内先生との出会いがターニングポイント
2年生からスタートするゼミでは、恩師となるみかんぐみ(神奈川県横浜市)代表の竹内昌義さんが主宰する「竹内昌義研究室」に所属した。ここがターニングポイントになる。
「フィールドワークで工務店に見学に行ったり図面を描いたりと、住宅設計を身近に感じる機会が多かったんです。竹内先生から工務店の話を聞いていましたし、多くの先輩たちが工務店に就職していきました。自然を感じる素材、緑豊かな外構、大工がつくる家…。知れば知るほど、やっぱり工務店だよなあって。就職活動で工務店一択に絞るのは自然な流れだったと思います」。
この工務店で絶対に働きたい
緑と建物を融合させながら、家だけなく、まちをつくり、周辺環境すらも設計していく。大工と。体となって信念を持った家づくりを全うする―。就職活動の時、「建築工房零」を知った際に、そんな感想を抱いた。
「建築工房零で絶対に働きたいと直感が働きました。規模やネームバリューではなく、どんな人たちが、どんな想いを持って家づくりをしているのか。ビビッと全ての理想が当てはまったんです」(星野さん)。
面接時、印象に残った出来事がある。同社社長の小野幸助さんからの一言だ・・・
この記事は新建ハウジング8月20日号2面(2024年8月20日発行)に掲載しています。
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