住宅業界の市況が厳しくなる中、地域の工務店に建材や設備を提供し続けるメーカーの役割に注目が集まる。材料の安定供給が工期を平準化し、多種多様な建材の魅力が工務店の価値にもなる。本連載では、建材・設備メーカーのトップに新建ハウジング発行人・三浦祐成が「今こそ聞きたい未来の話」を深掘りする。第3回は、創業200周年を迎えた建材流通・大和屋の8代目社長・黒田泰治さん。自然素材の建材を輸入・販売しながら、オリジナルの製品開発も手がけ、自らも上質な木の住まいを建て続ける。時代や環境の変化を見抜き成長し続けるトップの真意に迫った。
三浦:200周年を迎えた大和屋の転機はいつか。
黒田:1つ目の転機は、1941年に発せられた木材統制令で、116年続いた木材業を一度閉鎖せざるを得なかった。また45年には、空襲で工場や倉庫、納屋まで焼失してしまったが、戦後は丸鋸1つで事業を復活させて、47年には木材の販売を再興。51年には製材工場も建設した。その当時は、会社として試練の時だったと聞いている。
その後は、木材だけでなく新建材も扱い始めるようになるが、他社との差別化に悩む時期に突入する。98年に、内装材に特化して輸入建材を扱い始めるようになったことも大きな転機だろう。
いち早く 輸入建材を看板商品に
三浦:国内の木材販売から製材にシフトし、建材も取り扱うようになった過程で、さまざまな選択肢があっただろう。国産材ではなく、輸入材に目を付けた理由は。
黒田:7代目社長(現会長)が、高断熱・高気密住宅への関心の高さから、スウェーデンの住宅に注目していた。87年に新設した住宅部門(グループ会社、2002年に合併)で、フローリングに使用していた木材は、反り・狂い・割れが激しく、乾燥状態がいいスウェーデンのレッドパイン材に目を付けたそうだ。そうした理由から、輸入建材の取り扱いを始め、今もなお弊社の看板商品であり続けている。
三浦:2015年にはモデルハウスを改修し、パッシブハウス認定を取得している。超高性能住宅に取り組んだきっかけと、会社に与えた影響は。
黒田:7代目が、2011年ごろにパッシブハウス・ジャパンの森みわさんと出会ったことがきっかけと聞いている。ドイツの住宅展示場に足を運ぶことも多かったので、パッシブハウスの考え方に感じるものがあったのだろう。その後・・・
この記事は新建ハウジング6月10日号10面(2024年6月10日発行)に掲載しています。
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