南向きに無頓着というか・・・執着していない
飯塚 皆さんの質問の中に、「図面を見ても方位が書かれていませんが、北欧ならではの方位の感覚があれば教えてください」というものがあります。日本のように、南向きを意識して建てなくても良いということでしょうか。
関本 アアルトの建築を見ていても、南向きに対して無頓着というか、執着していないような印象があります。それは夏の間、明るい光がパノラマのように全方位を水平に推移するので、南の光にこだわらなくても良いからではないでしょうか。いろいろな方向に窓が開いていて面白いです。「光をどう取り入れるか」を考えますので、「軒を出す」という発想はありません。「何もったいないことをしているんだ!」「もっと光を入れろ!」となるでしょう(笑)。
飯塚 そうすると、北欧の風土ならではの建築表現になっているということですね。その風土に対する眼差しをもって日本で建てるとしたら、どのようになるのでしょうか。関本さんがアアルト的な環境の捉え方をして建築を提案するとすれば、どのようなことを考えますか。
関本 難しい質問ですね(笑)。まず、アアルトの建築はフィンランドの建築がそうであるように、その国ならではの極端な気候が非常に密接に結びついています。それをアアルトがやっていたからと言って、丸々取り込めるものではないというのが、まず前提としてあります。
ただ室内空間の作り方として、入ってきた光が差し込むところに、木製の窓や天井に繊細に貼られた木があったり、レンガの壁があったり白い壁があったりと、多様な素材の使い方が見られます。
われわれが住宅建築を設計する時には合意性や合理化を考えますので、ルールを作ったり、統一性のようなものを求めたりします。しかしアアルトは、レンガ、コンクリート、鉄など全く異質なものをどんどんぶつけていきます。「塔を鉄で巻いてしまえ!」といったようなものまであります。
本来、そういったことをするとバラバラの空間になるところ、アアルトの空間では多様性が宿り、豊潤なものとなります。そういうところに学ぶべきポイントがあって、窓の大きさや広さ、トップライトというよりは、素材の使い方にとてもインスピレーションを受けます。今日、視聴されている皆さんも、そういったところが参考になるのではないでしょうか。
飯塚 素材から入るとやりやすいということでしょうか。
関本 異質なものを入れ込んでいく。アアルト風に言い方を変えると「弱点を作る」ということです。アアルトの空間は非統一や非論理なところがあって、何かにとらわれてしまえば平坦なものになってしまうところを、最後に全く異質なものをぶつけてきます。設計の最後にそういったことを、わずかでもいいので意識すると、ヒントが見つかるような気がします。
飯塚 難しいですね(笑)
関本 一歩間違えると失敗します(笑)
自分の安心できる領域を外側に拡張していく
飯塚 「日本の風土に向き合う」という話かと思いましたが、逆に「風土に向き合うとは何か」と考えると難しいです。関本さんの作品の中にはよく中庭が出てきますね。縁側よりも中庭のモチーフが多いように思います。それは北欧の影響なのでしょうか。
関本 中庭が北欧的というわけではありませんが、私がフィンランドを好きな理由は、遠巻きにはそういうところにつながっていて、内向きな空間であるということです。閉じられて内向きな空間の中に安心できる居場所を作っていく、といったところでしょうか。
留学時代、引きこもりのようにアパートの中に閉じこもって、黙々と作業している時間が大好きでした。雪が降っていて、外がものすごく寒くて。しかし家の中はとても暖かくて…みたいな。守られた空間の中が非常に豊かに出来上がっているというのが、フィンランドの空間の好きなところです。
フィンランドから学んだことなのかどうかは分かりませんが、中庭を作ることで中間領域を含めて外部を内部化して、自分の安心できる領域を外側に拡張していくといった感覚があります。ここが北欧建築に繋がる部分ではないかと思います。
アアルトの「自然との調和」の解釈
飯塚 別の質問が来ています。アアルトが自然の調和を建物に持ち込んでいるということが残された文書から分かりますが、関本さんがそれを強く感じた事例はありますか。白のバランスや材質を細分化して表現することで、木立や自然素材テクスチャーを持ち込もうとした話は有名です。そういったことを感じさせる写真を見た覚えがありません、とのことです。
関本 自然との調和についての解釈ですが、マイレア邸に見られるようにモダニズムを諦めずに、いかに自然なしつらえを手に入れるかというところがあります。
自然の造形の中には、雪の結晶のように法則立ったものもありますが、葉の出方などは必ずしもシンメトリーではありません。法則性がある中でも予定調和を破っていくような部分があります。
アアルト建築にも同じことが感じられます。シンメトリーではありませんし、「あっち」と「こっち」は違うものになっている。なぜ違うのかと尋ねたとしても、「だってその方が自然でしょう?」と言われるような気がする。私なりの解釈ではありますが、アアルトの建築における自然との調和はそういうところにあると思います。
また先ほど、アアルトが好んで建物の中に植物を一体化しようとしていた痕跡をいくつか紹介しましたが、「建物の中に植物を入れていたから自然と調和している」とは言うつもりはありません。
アアルトは単に「観葉植物を入れました」ではなく、例えて言うならば、建物仕上げの仕上げ表の中に「ここはツタ仕上げ」と書いているかのような勢いの踏み込み方で、緑と一体化させています。「連続性」「不統一」そして「自然との統合」のようなものをとても意識していたように思います。
飯塚 その通りですね。「夏の家(コエ・タロ)」は外に大きな外構がありますが、真四角ではなく、欠けがあると言いますか。アトリエの高窓のところも真四角ではなくて、少しずらしています。
関本 そうなんです。アアルトも夏の家のロフトで油絵を描いていたという話がありますが、残されたアアルトの絵は、油絵をなぐりつけたような抽象絵画です。アアルトの建築思考はここにあるように思います。具象的な幾何学模様を描くのではなく非常に抽象的です。
飯塚 コルビュジエに近いのでしょうか? コルビュジエは午前中に絵を描いて、午後に建築の仕事をしたと言われていますが。
関本 コルビュジエはもう少し輪郭のはっきりした絵を描いていましたが、アアルトは“ぐっちゃぐっちゃ”でした(笑)。
飯塚 形が分からないような? 抽象絵画を描いていて、何でもありの数寄屋みたいな世界であるとすると、アアルトを捉える手掛かりが無くなってしまいます。ですが、自分との対話といいますか、自分の絵の中の表現でいろいろな造形ができていたのだとすれば、あり得る気がしました。
ところで、ヴオクセンニスカの三つ十字の教会はとても複雑な形をしていますが、似ている建築物がありません。何かを引用して作った形ではないと思うのですが、フィンランドの古い建築でこういう造形のものがあるのでしょうか。
関本 ありません。
飯塚 自然の模倣でもないでしょうし。やはり内側から出てくるもの、おいそれとは真似できないものなのかなと思いました。
関本 三つ十字の教会に関しては、考え方のベースにフィンランドの教会建築に対する考え方があります。フィンランドの教会はヨーロッパのゴシック建築の教会みたいなものとは違って、カソリック教会というプロテスタントなのです。祭壇にキリストが磔(はりつけ)になっているような求心性の強いものではありません。フィンランドにおいて教会は集会施設のような意味合いを持っています。
フィンランドの教会建築には型破りなものが多いです。通常の教会は真正面に祭壇があって、それに対してヒエラルキーを感じさせるものがあるものだと思いますが。まさかの横に長い教会ですとか(笑)光がふんだんに落ちてきて、その光こそが神を表わしています。
三つ十字の教会は、3つの曲面のボリューム、あるいは塊のようなものがあって、ここに引き戸が隠されています。これを引っ張り、全部開け放つと大きな空間になり、閉じていくといくつかの小ホールに分けられるような作りになっています。初期のアアルトのスケッチに3つぐらいの玉があるスケッチが残されていますが、あれを実際にあの形にするのはものすごい力技です。
飯塚 そうでしょうね。いくら図面を見ても分からないですから(笑)
関本 アアルトはそういうところがあり、整合性に向かわないというか、ものすごく力技で着地させてくるようなところがあって、飯塚さんが言われる「何にも似ていない」ような、強いオリジナリティに着地している印象に繋がっていると思います。
セイナッツァロ役場のバタフライ梁のようなものは普通はやらないです。破綻した状態で無理してゴリゴリと突き進んで行くような。そういったものが最終的には唯一無二の強い形を作り出しているような気がします。
飯塚 あの加工なども何か参照できるものがあったわけではないのですね。あんなものは見たことがないですよね(笑)
関本 見たことがないです。
飯塚 虫とか…(笑)
関本 そういったところが見られるのは、あの建物、あの空間だけです。「味をしめて何度もやりました」ではありません。
飯塚 インターナショナルスタイルがある中で、それから離れたその地域独自の形みたいなものを考えていたのだろうと思っていたのですが。ただ壁面をバーンと作るのではなく、仕上げに細かい材料を組み合わせて作っていくなど独特です。
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