関東大震災から9月1日で100年。震災で焼け残り、遺構として知られる東京都千代田区神田和泉町の「旧和泉町ポンプ所」の解体作業が進んでいる。1922年に稼働を開始し、翌年の震災の際、炎が迫る町で消火に役立ったとされる下水処理施設。この施設に関連し、町には脈々と語り継がれてきた「奇跡」の話がある。
「この附近一帯は大正十二年九月一日関東大震災のときに町の人が一致協力して防火に努めたので出火をまぬかれました」と記した石碑が神田和泉町にある。地震後の火災で周辺地域がほぼ焼き尽くされた中、神田和泉町や隣接する神田佐久間町などの一角は焼け残り、「奇跡」と言われた。百数十人の住民らがバケツリレーなどで炎を食い止め、約1630戸を守り抜いた。消火用の水が不足する中、旧和泉町ポンプ所の下水が使用された。
その後も稼働を続けたポンプ所は現在役目を終え、跡地には子育て支援施設が建設される予定だ。近くにある和泉小学校では震災当時の話を児童らに教えており、同校の担当者は「素晴らしい先人たちの活動を知ってほしい。ポンプ所がなくなっても、伝え続けていきたい」と語る。
東京大大学院の鈴木淳教授(日本近代史)も「延焼してきた火災を食い止めることは、普通なかなかできない」と評価する。その上で、炎が四方から同時に来ず、常に逃げ道があったことなど風向きや地理的状況に恵まれ、消防水利の存在など好条件が重なったと分析した。
一方、鈴木教授は「美談として語るだけでは、防災の基本である避難の重要性が分からなくなる」とも話した。同教授によると、太平洋戦争直前の1941年11月に「防空法」が改正され、空襲時の消火義務などが定められた。教科書には神田和泉町などで起きた「奇跡」が掲載された。45年3月の東京大空襲では、こうした教育を受けて火に立ち向かった人々がいるとされ、人的被害が拡大した要因の一つと言われる。
鈴木教授は、歴史は目的があって語られることが多いとした上で、基になった話から地理的な状況や人々の行動を分析することは現代の防災の教訓につながると指摘。「それを繰り返していくことが、災害を振り返る意味ではないか」と強調した。(2023/08/28-05:21 記事提供元:時事通信社)
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