今回は鹿児島県南部、指宿市で活動する谷口建築を紹介する。大工工務店の2代目という肩書から連想する堅実な家づくりだけでなく、マーケティングにも長けた工務店だ。
※この記事は、新建ハウジングの人気連載「最少人数で生き残る nano(ナノ)工務店の経営術」(2022年11月20日号掲載)をデジタル配信用に再編集したものです。
谷口建築の2代目、谷口優介さんは1982年生まれ。父親は腕のよい大工で地元では知られた存在だった。谷口さんは父親の仕事の影響から中学生のころから建築やインテリアに興味をもち始め、将来は父親の跡を継ぐのだろうと漠然と考えていた。
その予感は的中。多少の回り道をした後、谷口さんは22歳のときに父親の元で大工修業に入る。父親の指導は厳しかった。「習うよりも慣れろ」「仕事は盗め」という昔ながらの価値観でしごかれた。それでも谷口さんは反発することはなかった。住宅の仕事は楽しかった。そして父親の仕事に一切の妥協をしない姿勢を尊敬していた。
父親のもとで働いて10年。業界は激変した。墨付け・刻みはプレカットに置き換えられ、和風住宅は廃れた。父親の仕事も減り、1週間仕事がないこともあった。時代に合わせた家づくりに変えないと立ち行かなくなる。谷口さんは強い危機感を抱いた。
そんなときに谷口さんの友人から新築住宅を依頼された。友人の家づくりは谷口さんが手掛けることになった。その住宅は足場板や合板などの粗野な材料を仕上げに用いて、「カフェ風」のインテリアにまとめた。建て主はとても喜び、谷口さんも出来に満足した。父親は気に入らなかったようだが、この住宅以降、谷口さんに声が掛かった仕事は任せてくれるようになった。
1棟目から間もなく、知人から家づくりの相談があった。当時谷口さんは32歳。同じ子育て世代の友人が家づくりを検討し始めていた。これを好機と捉えた谷口さんは、この事例以降、建て主の協力を得て見学会を実施。営業に努めた。同時期にInstagramも開始。確実に集客は増え、受注も着実に伸びていった。2017年に事業を継承し、2019年には法人化した。今年度は8棟、来年度は12棟を見込んでいる。
見学会をイベント化して集客
順調な成長を支えるのが見学会の集客力。コロナ禍の直前には1日に100人程度が参加する催しになっていた。集客力を得たのにはいくつかの理由がある。まずは・・・
【残り1850文字、写真15点、矩計図1点】
この記事は、新建ハウジング2022年11月20日号(4・5面)に掲載しています。
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