この連載は、正社員3人程度(大工などの職人は除く)の最少人数で安定した受注を得ている工務店を取材し、経営手法や人気の秘密を探る。そこには縮小化する市場のなかで最適化を図るためのヒントが隠されているはずだ。
今回は東京の下町で活動するみずる工務店(東京都江戸川区)を紹介する。社長の水流隆史さんは長らく大工として活動した後に独立。最近は大規模リフォームを中心に手掛ける。水流さんの歩みから、今の時代に大工がキャリアを高める難しさと、大工キャリアの最終形態としてのナノ工務店の可能性が伝わってきた。
※新建ハウジング2020年7月20日号掲載。内容は取材当時のものです。
水流さんは現在48歳。21歳から大工として活動を続け、4年前に法人化した。仕事の中心は戸建て住宅とマンションの大規模リフォームだ。
水流さんはインテリアの専門学校を卒業後、現場の仕事を転々とした後、大工を志すようになった。「いずれ独立して社長になりたかった。それには大工が早道だと感じた」と水流さんは振り返る。
水流さんは求人情報誌を買って面接を受け、ハウスメーカーの大工見習いとなった。社員として雇用されるのではなく、一人親方の手元として働き、賃金は日給月給制でハウスメーカーから支給された。
水流さんは現場経験から道具の扱いを多少習得していたので、大工の仕事もある程度こなせるだろうと高をくくっていた。だが現実は甘くはない。毎日、親方に頭ごなしに怒られてコテンパンにやられた。
親方の下に付いて約1年後、水流さんは親方と喧嘩別れをする。親方は腕がよい分、まわりの大工からやっかみを買っていた。ある大工が「親方がお前のことを悪く言っていたぞ」と水流さんを焚き付け、それが諍(いさか)いにつながった。
経験1年で1棟丸々担当する
親方のもとを飛び出した水流さんに、ハウスメーカーの担当者から意外な誘いがあった。ほかの大工がサポートするので、1棟丸々手掛けてみないかと言われたのだ。水流さんはまだ階段や和室造作を学んでおらず、技能不足は明らかだったが、大きなチャンスと捉えて請けることにした。
最初の現場は苦労の連続だった。一つひとつの作業に時間が掛かり、納め方も分からない。「まずは自分で調べ、考え抜いてノートに納まりを描く。それをもとに応援の大工に質問する。なるべく効率よく答えを得たかった」と水流さんは話す。
苦労した甲斐があり、2棟目は独力で現場をこなせた。以降、作業スピードもどんどん上がっていった。この経験が水流さんの礎となった。親方が側にいれば尋ねるだけで答えが得られる。効率はよいが、自分の頭で考える力が身に付かない。
現場は同じ状況が2つとない。リフォームとなればなおさらだ。そのため大工には柔軟な発想が必要になる。それを身に付けるには自分の頭で考え抜く経験が欠かせない。水流さんは親方から早い時期に離れたので、それが自然と身に付いた。
水流さんは3年後にハウスメーカーの仕事から離れた。まわりにいた親方世代の大工から「お前らは組立屋で大工じゃない」と頻繁に嫌味を言われたことが理由の1つだ。水流さんの世代が手刻みの経験に乏しかったことを揶揄しての発言だ。手刻みの経験が決定的な差になるのか。水流さんには納得がいかなかった。そこでハウスメーカーとは別の現場を経験して技術を高め、見識を深めようとした。
さまざまな現場を経験
水流さんは特定の住宅会社の専属にはならず、さまざまな現場を経験した。職人の編成がチーム化されているハウスメーカーとは異なり、現場ごとに顔ぶれの異なる職人が集まった。彼らは効率よく稼ぐために早く仕事を終わらせることを最優先にしていた。
特に建売住宅の現場はそれが顕著で、どの職種も仕事が雑だった。大工の場合は坪請けなので、建売会社の検査基準ぎりぎりの仕事をする大工が最も稼げることになる。丁寧な仕事と荒い仕事では月収で30万円ほど違ってくる。手が荒くなるのは当然だった。水流さんはその風潮に染まれず、丁寧な仕事を心掛けた。なぜそこまでやるのかとまわりから言われることもあった。・・・・・
この記事は新建ハウジング2020年7月20日号4~5面に掲載しています。
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