この連載は、正社員3人程度(大工などの職人は除く)の最少人数で安定した受注を得ている工務店を取材し、経営手法や人気の秘密を探る。そこには縮小化する市場のなかで最適化を図るためのヒントが隠されているはずだ。
今回は鹿児島市の村田義弘さんの活動を紹介する。建築工房自然木(じねんもく)として活動後、3年前より丸久建設の一部門となり、2020年12月から再度独立。薩摩じねん派 じねんもくとして活動をはじめる。村田さんの道のりは地域に根差すナノ工務店のヒントになるだろう。
※新建ハウジング2020年12月20日号掲載。内容は取材当時のものです。
村田さんは明治大学大学院修了後、現代計画研究所に入所。主に都市計画や集合住宅の設計を担当した。その後、佐藤総合計画に転職し、学校など公共建築を手がけた。
地域に根差した活動をしたいとの思いから、40歳のときに地元の鹿児島市に帰り、設計事務所を開設した。今から22年前のことだ。
戸建て住宅の建て主にとって設計事務所は敷居が高い。設計と施工は分離せずに1社に一任したいと考えるのが通例だ。村田さんは分離発注方式などの試行錯誤をした後、建築工房自然木(じねんもく)という設計施工を請け負う工務店となった。初期のテーマはシックハウス対策。もともと地域の素材を使った家づくりを志向していたこともあり、自然素材にこだわった家づくりを進め、林業家とのつながりもできた。
シックハウス対策で村田さんが大事にしたのが情報共有。大学の研究者と協働してVOC を測定し、その結果をメディアに公表した。南日本リビング新聞社の「リビング新聞」が大きく扱ってくれた。この記事をきっかけに同紙と村田さんは密接につながっていく。
地域に根差した家づくりを進めるなかで、村田さんの関心は自然エネルギー利用へと移る。当初は空気集熱ソーラーに惹かれたが、温熱環境に詳しい設計者などに相談したところ、その前に温熱環境の知識を深めるべきだとアドバイスされた。
ちょうどそのころ「自立循環型住宅への設計ガイドライン」が公表され、それを題材にした研究会が立ち上がった。この会に村田さんは欠かさず参加し、温熱環境や自然エネルギー利用の基本を学ぶ。そこで得た知識を設計に適用し、自然エネルギーをより積極的に活かすパッシブデザインにのめり込んでいった。
採光や通風の確保は建築計画の基本だが、その効果を定量的に把握して最大化するには知識や技術が必要だ。特に日射取得と日射遮蔽を両立させ、通風を効果的に得るにはシミュレーションと竣工後の実測が大切になる。村田さんは地道にこれらを積み重ねていった。ときには建て主が承認した設計を3度もやり直して最適化を図った。
細部まで設計を突き詰めることで建て主からは住み心地のよさが高く評価された。口コミが広がり、メディアにも取り上げられ、村田さんと社員の2名体制で年間5棟程度の受注が得られるようになった。
古民家改修に取り組む
このころ伝統構法で建てられた古民家改修の依頼がきた。タイミングよく、岐阜県立森林文化アカデミーの三澤文子教授(当時)が「建築病理学」という講座を始めた。現在の住宅医につながる内容だ。村田さんは受講生となって調査診断から改修方法までを学び、古民家の改修設計に適用した。
古民家改修で最も悩んだのは耐震改修。伝統構法は石端建てと通し貫などにより、地震時に躯体の変形を許容しながら倒壊を防ぐシステムだ。そうした建物に対して単純に壁量を増やして変形を抑えるだけでは、もとの建物の構造的な特性が失われ、耐震性を損うおそれがある。
そこで村田さんは、あえて壁量を建築基準法ぎりぎりに抑え、新たに土壁を設けるなど、構造の柔らかさを生かした伝統的な手法を採用。加えて住まいの中心となるLDKを囲うように部分断熱改修を施した。
この大規模改修は3年掛かりとなったが、出来上がった空間性や性能の確かさ、住み心地の面で建て主から大きな評価を得た。この事例以降、古民家改修を定期的に依頼されるようになった。
古民家は歴史的な集落に建つ。改修設計に際して地域の背景を読み解くことが不可欠だ。村田さんの視点は1つの建物を超えてその集落全体に注がれるようになっていった。
一方で最初の古民家改修には負の・・・
この記事は新建ハウジング2020年12月20日号4~5面に掲載しています。
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