正社員3人程度(大工などの職人は除く)の最少人数で安定した受注を得ている工務店を取材し、経営手法や人気の秘密を探る人気シリーズ。今回は新潟県阿賀野市で活躍する宮﨑建築を紹介する。代表の宮﨑直也さんは大工としてこの世界に入り、幅広い分野の技術を習得。丁寧に造り込まれた高性能住宅で支持を得ている。
宮﨑直也さんは新潟県阿賀野市出身の44歳。曾祖父の代から大工が生業で宮﨑さんは4代目。大工を志したのは高校3年生の夏休み。父親の現場を手伝ったときに建て主とやり取りしながら、細部まで自分の手でつくる大工の仕事に魅力を感じた。
高校卒業後、宮﨑さんは高断熱高気密の和風住宅で知られる重川材木店主催の「匠塾」に進む。匠塾は4年制の大工育成所。現場を手伝いながら段階的に仕事を覚えていく。宮﨑さんは寮に住み込み、大工の基本技能や現場の段取りを習得。4年後に父親のもとへ戻った。
当初は資金繰りに苦労
宮﨑氏の父親は自営の大工で社寺の改修も手掛けていた。その腕を買われ、材木店から定期的に建て主を紹介されており、受注は安定していた。宮﨑さんは順調に経験を積み、20代後半には現場を任されるようになった。32歳のときには通帳を預けられて資金繰りの采配も始めた。
このころ、懇意にしていた材木店の経営が傾き始め、仕事の紹介が途絶えた。時代は「材木店+大工」から「プレカット工場+工務店」に移っていた。その影響が地元にも及んだ。
宮﨑さんは先行きに不安を感じた。その不安に資金繰りが拍車を掛けた。・・・・
この記事は、新建ハウジング2022年6月20日号6~7面「最少人数で生き残る nano(ナノ)工務店の経営術 Vol45」に掲載しています。
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