理想は“共助型”のコミュニティ
迎川:コミュニティで野沢さんに聞いてみたかったことがあります。僕の学生時代は、コミュニティ全盛の時代でした。建築の計画では、周りにいた仲間たちは、なんでもコミュニティにこじつけて、プレゼンする。野沢さんのお友達でもある坂本一成(アトリエ・アンド・アイ主宰)は、僕のゼミの担当でした。坂本さんが、そういう案を見て、「コミュニティってそんなにいいものなのかなあ」って言ったんです。
要は、日本の村社会では、太郎ちゃんと花子ちゃんが外を手繋いで歩いてただけで、もう隣近所の人に噂が広まって、みんな知っていると。あのふたりはできてるんじゃないかと。そういう話になっちゃって。
坂本さんは「その不自由さが嫌で、若者は都会へ逃げ出している。そんな風潮があるのにも関わらず、今更コミュニティを提案したって共感を得られると思ってるのか」と。そんな話をされたんです。あるいは異能な人というか、ちょっと変わった才能を持った人たちは、村社会では変な人で弾きものにされて、そこでは暮らしていけなかった。
そういう人たちがやっぱり都会に出てくる。そういう人たちの才能が花開く場所。それが東京。それを地方で邪魔してるのが、コミュニティなんじゃないかという話をしてくれた事があるんですね。僕はずっとまちづくりをする時にそれが頭に引っかかるんですが、野沢さんのコミュニティ論はどうですか?
野沢:その村社会っていうのは、場合によっては縦社会ですよね。中根千枝さんが書いた「タテ社会の人間関係」(講談社現代新書)がある。水平ではない繋がりの人間関係のことを書いている。だから、そのコミュニティによっては「息苦しさ」はあったと思いますよ。縦社会、封建的コミュニティっていうのは、監視型だったかもしれないし。ところがね、実は今でも未だにあるのかもしれないですよね。僕が言ってるようなコミュニティ、アジアンコモンズのコミュニティっていうのはもっと水平であり、共助型になっている。平たく言うと、隣がいる事が鬱陶しくないっていうコミュニティでしょ。さっきの話じゃないけど、考えながら作らないといけないコミュニティかもしれないですよね。
迎川:コミュニティには大きく分けて2つあると思います。垂直関係と水平関係のコミュニティ。垂直関係は、人たちの白黒を不自由にする事が多い。水平関係は、人たちの暮らしを豊かにする。その間をうろうろしてるのが、いわゆるコミュニティということかもしれないですね。
野沢:道路は警察が管理するとか。だから街路樹の葉っぱは俺が滑るから切っとけ!とかね(笑)。誰かが作ったフィールドを、場合によってはクレームをつけたり、ちゃんと管理しろとか言っちゃう人もいる。フィールドそのものが、我々のフィールドであって、我々が責任を持ったり工夫する場所だと。街路樹への葉っぱが落ちたのは、落ちたらそれは区役所がどうにかするんじゃなくて、自分達でどうにかして、例えば堆肥にするとか。面倒くさいけど、もう少し楽しい社会っていうか、楽しい場所を公共の場所を作り直すっていうのかな。運営の主体を自分達にするっていうのは、全部なんかやらなくていいと思いますけど。少しできれば面白くなるのかな、豊かになるのかってちょっと思いますけどね。
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