工務店の元・経営者に自社の倒産から学んだ教訓を寄稿いただいている新建ハウジングプラスワン連載の第1回目を全文公開します(2012年4月号掲載)。 書き手は、現在工務店向けの設計・営業支援を行う大嶋浩さん(シェフ・オオシマ)。
どうしてうちの会社は倒産したのか?
はじめまして!名古屋在住の建築士、大嶋といいます。まずは自己紹介です。
関西のゼネコンで現場監督になり、2年後地元設計事務所に転職。所内のムードになじめず1年で親の経営する工務店の子会社となる設計事務所を開業。
1枚8000円でハウスメーカーの図面を書いたり、ゼネコンの構造設計の下請け・孫請けを経験。その6年後に親の工務店に転がりこんで、工務店の設計担当として、注文住宅および分譲住宅などの設計をし、いつからかその会社の二代目として社長業も経験…。
というよくあるパターンの地域の小さな工務店の二代目でした。
そんな私がなぜ今回専門外の原稿を書くのか。
現在の私はその工務店の社長を落第(=倒産させ)、その後個人の一設計士として鉛筆やCADと格闘しています。
そんな私ですから、この連載の依頼を受けて戸惑いました。工務店の経営失敗者の私に住宅の専門誌へ何を書けというのでしょう?
話を伺ってみると、「読者は失敗例から学びたいのです。現在の大嶋さんの立場は現役の工務店の社長ではないのですから、書けるのでは?今までの失敗も踏まえて、特に若い後継者世代に生の声を伝えることができるのではないでしょうか?」「読者はまさにそういう実務者のリアルな声が聞きたいはずなのですよ」という編集者の言葉に、反射的に「そうですねー。僕もそういう話は10年前に聞きたかったですよ、ホント」と思わず同意してしまい、原稿依頼への「NO」は消え去り、前向きに新しいチャレンジをすることになったのです。
いくらでも借りられた
さて早速ですが、今回のテーマは「お金」です。倒産経験者の「お金」の話ということで、自社の倒産事情を思い出してみます。
バブルがはじけた後、平成4年に32歳で社長になった私ですが、実際は社長業に邁進していたとは言い難く、お客様との関係上の役割、「お客さん向けの名前だけ社長」でした。
やっていたことは木造住宅の設計。申請、お客さんとの打ち合わせ、契約、地鎮祭や上棟祭への出席、分譲住宅の土地仕入、企画という実務面だけで経営面はノータッチ。銀行とのやり取りなどを含めて金銭面の仕事は社長から会長となった父親が続けて担当していたのです。
Pages: 1 2
住宅ビジネスに関する情報は「新建ハウジング」で。試読・購読の申し込みはこちら。