製材所からリフォーム、そして新築住宅へと業態を転換してきた山弘(兵庫県宍粟市)が、地域材である“宍粟杉”に目を向けたのは約20年前。 宍粟杉の家づくりを確立させたのは、三代目社長の三渡眞介さんだ。 節や黒芯が多い宍粟杉を生かすには住宅としての「商品化」が不可欠と考え、設計力を磨くことで、欠点とみなされる要素を逆手に取った「もさかっこいい」デザインを確立した。
“欠点”の多い宍粟杉
吉野や天竜のように、ブランドを確立している林産地や木材は数多くある。対して、兵庫県中西部に位置する宍粟市で産出する宍粟杉は、全国的に認知されたブランドとは言い難い。価格も安く、十分に手入れが行き届いていない森林も少なくない。
間引きも十分ではなく、そもそも利用できる材が少ない。さらに枝打ちがなされないため、節のある材が多いうえに、山には鉄分が多いため黒芯材が出やすい。他にも目が粗くもなく細かくもなく中途半端などの特徴があり、建築用材の産地としては評価が低かったという。
現社長の三渡さんは、5年間のアパレルメーカー勤務を経て2000年、同社に入社したが、その5年前、当時の社長だった父親が突如、半自動プレカット機を導入した。当時は年2~3棟の新築と、ゼネコンや生協の下請けが中心の時期。三渡さんは当時、突然の大きな投資に驚いたという。
しかし三渡さんは、父が漏らした「宍粟は林産地なのに、地元の木で家をつくらないのはおかしい」という言葉から、祖父が始めた製材業を畳んでしまった悔しさを汲み取る。祖父と父の想いを継いで、入社後は宍粟杉による家づくりの確立を目指して奔走し始めた。
部材ではなく商品で訴求する
同社の地域材への転換は、三渡さんの入社とほぼ同時期に始まる。既にOMソーラーを武器として、新築は年間7~8棟まで成長しており、下請けもこの時期にやめている。2003年には、オール宍粟杉のモデルハウスを建てた。
このころ、三渡さんはリフォーム事業を担当していたが「スギとOMソーラーだけで、本当に受注が増えるのか」との疑問をずっと抱えていたという。実際に、2年間は厳しい状況が続いた。このままではいけないと考え、父親に直訴して2006年、新築住宅の担当に異動。当時の課題は、売りが宍粟杉、あるいはOMソーラーやデコスのセルロースファイバーといった「部材」だったことだ。単体では訴求力があっても、それらを組み合わせてつくる住宅に、コンセプトが欠落していた。
「うちには商品がない」。三渡さんは、宍粟杉の特徴を前提として「宍粟杉ありき」で生活者から求められる家づくりを考えた。アパレルメーカー時代に学んだプロダクトアウト・マーケットインの概念も役に立ったという・・・・
【残り1323文字・写真6枚】
この記事は、『新建ハウジング別冊・ワンテーママガジン10月号/健康・エコ 国産材が主役のサステナブルな家づくり』(2021年9月30日発行)P.20~に掲載しています。
住宅ビジネスに関する情報は「新建ハウジング」で。試読・購読の申し込みはこちら。