慣習を捨てて変わろう
野沢:一方で、その当時、僕は何をしていたかというと、今も昔も変わらないスタイルで一つひとつの仕事をしていた。まわりを見渡すと、とにかく経済を回していく道具として住宅が乱立し、ハウスメーカーがつくった家や高層マンションがどんどん建っていく。規模は違いますが、これは国内のあらゆる地域で起こっていた。
シンプルに言うと、経済がまちをつくってしまっていた。それって本当に地域のため? 住む人の幸せにつながるのかな? ってずっと考え続けているんです。今がその最後の潮目というか、ちゃんと考えなくてはいけない時期に差し掛かっている。これを放置していると、数十年後に本当に空虚なまちになるんじゃないかな。
三浦:おっしゃる通りで、ネガティブな面を捉えると、住宅ローンを抱えて生きる親父たちの姿は、子どもたちにとって幸せには見えないし、自分はそうなりたくないと考える人は大勢いるでしょう。では現実的に、それをどうポジティブに捉えればいいのか。どういう解があるのかと言うと、親世代と真逆を突き進むべきだと思う。じゃあリノベーションはどうだ、って話が出てきますが、実際にその生活に憧れる層は全体の数パーセントに満たない、感度の高いトップオブトップの人たちでしょう。
そうじゃない層には、やっぱり「ソーラータウン府中」みたいな、普遍的な家づくりが間違いない。どう伝えていくのかが難しい。本質的ないい家を見たり、触れたことのない人たちに、何かいい意味でカルチャーショックのように伝えられる機会を設けることが必要だと思います。
野沢:僕もそう思う。住んでみたことのないものを「経験」することはなかなか難しい。想像さえできないと考えていい。建築家も設計も、どこか自分が経験してきた要素を引き出しながら、慣習を引きずって提案しているのかもしれない。だからこそ、先ほど触れた「自分の引き出しを増やそう」につながる。自分の中にない要素を、自分の慣習を超えて提案するのは実に難しい。悪しき慣習は意図的に捨てないといけない。明日にも明後日にもすぐには無理でも、変えてみよう、変えることを試みてみる気持ちが必要ではないかな。生活者自身が暮らしを育てながら住まう、木造ドミノ住宅は手前みそながら画期的だと思っています。木造ドミノ住宅はまちづくりにつながる。「府中」の事例を参考にしてほしい。
ここでの「まちづくり」は、「地役権」という手法を使って住民が自ら「コモン」をつくり出す、自ら負担するシステム。ソーラータウン府中の全16世帯はこの「コモン」で繋がっている。
迎川:地役権分は、一世帯当たり、土地の1割くらいですね。
野沢:そうですね。負担っていう言葉だけを見ると、損しているような感じがしますよね。住民は、みんなで土地を負担しているという、ある種の共同体としての側面があって16倍(ソーラータウン府中は全16世帯)の皆が使える場になっている。それってよく考えてみれば、大きなベネフィット(便益)じゃないですか。負担していることで、それによる大きなメリットがあるということを納得し、支払っている。それには住まい手のリテラシーが必要だ。そこをしっかりと伝えていくのが工務店の役割でしょう。
コミュニティーは、住民が共有する財産に対して納得感のある形にできるかが重要なポイントになる。皆さん税金に納得できていますか(笑)。つまりそういうことなんです。ソーラータウン府中の場合、負担していることとそれによる便益があるっていうことがセットになって、目で見える形で確認できるから、住民はそれをよしとしてくれていると思うんです。
野沢:もちろんそれは先ほども言ったように、一定のリテラシーが必要なのかもしれない。買う時、何か聞きなれない負担があるじゃないか、と思う方っているかもしれない。しかし結果として、そこに現れるはずの「共有する便益」を、負担とともに、納得できるそうした説明を尽くすことが、まだない「コミュニティー」をつくることの一番大事なところでしょう。
本当のことを言えば国家や行政がそうした試みを率先してやっていいはずだと思うんですよね。つまり「税金」がそれにあたるんだけど、ソーラータウン府中の場合、みんなのタックスを集めてコモンができて、それが住民にとって直接の利益になっている。1億2000万人もいる国家の場合、税金を取られているだけ、みたいな感じで、 府中のコモンのような利益の実感を持ちにくいんでしょうね。
府中にあるような実感ができる小さい「コモン」が各所に存在していて、その次にもう少し大きいコモン、もう少し大きい社会っていうのもあるとすると、そこに人々がものを言ったり、あるいは提案したりするっていう豊かな社会が起きるんじゃないかなって夢のように思ったりします。
ますます妄想に近いんですけど、まちをつくり、まちを経営することは僕たちのようなまちをつくったり、建築をつくったりする人が考えて良いことだし、少しはできるんじゃないか、やるべきことなんじゃないかなって思うんだ。
だからさっきの三浦さんの話で言うと、僕らの世代の高度経済社会に邁進してしまった、反省を込めて、本当だったらもうちょっとコモンっていうかな、みんなで共有するものっていうものの、損でない部分を、もっと享受できる社会体っていうのをつくるべきだったし、少しできたらリベンジでそれをやりたい。
迎川:ソータータウン府中は、僕らが想定した以上に上手くいってしまったという感じがしますよね。
野沢:トピックス2つ、3つ聞いただけで、そう思うよね。だって(住民の)小学生の子どもが、数件離れた向こうの家の大学生の……
迎川:お兄ちゃんが。
野沢:お兄ちゃんに、遊んで、ってね。
迎川:一緒にかくれんぼしようよって。
野沢:30年前ぐらいだったらさ、そういう穏やかでのんきな雰囲気もあったかもしれないけど。住んでいる人たちがお互いを知り合っているってことじゃない、大学生のお兄さんと小学生の子どもが。そんな関係の付き合いがある状態をつくれたのが嬉しいよね。
迎川:ああいうことも、損得の話にしちゃったら、全くつまんない話になっちゃうと思うんですよ。でもその裏では、損得の話にならないように、野沢さんのところで、敷地分割にすごい苦労してね。だから敷地をみると、すごい変な形の敷地になっているよね。みんなが平等に出し合っているっていうところをきちんと、掲示したり、それで維持したのね。
野沢:僕、今も某大学の非常勤講師をやっているんだけど、そこでコミュニティーがテーマになった時に、ここの話をしたんです。僕らがやった府中は、全部16世帯売れましたし、もう一人の若い建築家の手掛けた計画は数棟をつくったところで中止になってしまったんだと言うんです。そのプロジェクトも地役権設定によるものだったんだけど、1つになって2つつくったところで、頓挫しているんです。そんなことを考えると住んでくださった方のリテラシーっていうか、住んでくださった方が、その負担を、きっとベネフィットになるぞって、家を手に入れる前に理解してくださったというのは、すごく大きいんじゃないかなって思います。
小さいまちづくりは、期待できると思っているんです。大勢はいらっしゃらないかもしれないけど、協働してくださるユーザーっていうか、新しい住まい方を望んでいる居住者の方々がちゃんと16世帯いたぞ、だからまだどこかにいるぞ、みたいな期待です。
そういう人たちに、そういう場所を僕たちは専門家としてサービスできないと職能を果たしているとは言えないんじゃないか。やれる場所でしかやれないことは分かっているんですけど、「食べたことないものは食べない」っていう人は、いっぱいいる。でも、「食べたことないけど、食べてみよう」と思う人もいる。食べたことないかもしれないけど、プロとしてちゃんとつくりましたから、食べてみていただけますか?っていう専門家に対して、「その味を想像しながら食べてみよう」っていう人たちに責任をとるのが専門家だって思っている。
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