ドラッカー先生は、国の予算編成についてこう述べています。
最悪の事態として、国家はばらまき国家となった。予算編成が歳出からスタートするならば、徴税に節度がなくなる。歳出は、政治家が票を買う手段となる。
(中略)ばらまき国家は自由社会の基盤を侵食する。国民の金で票を買うことは、市民性の概念の否定である。事実、そのように見られている。
[出所「ポスト資本主義世界」]
ケインズ的福祉国家の理論が正しければ、国家が金で困るはずはなかった。歳出が経済を刺激し、資本形成と税収は急上昇したはずだった。そのうえ、瞬く間に巨額の財政黒字が実現したはずだった。
(前略)景気刺激のための政策が効果をあげた例はない。政府による景気刺激策は、景気の循環的な回復過程と一致したときのみ成果をあげる。そのような偶然は稀である。偶然の一致をもたらすための政策は、存在しない。
[出所「未来への決断]
また、政府の再建については、統治と実行の分離が必要だと説いたうえで、以下のように述べています。
実施、活動、成果という実行にかかわる部分は、政府以外の組織が行う(後略)。この原則は再民間化と呼ぶことができる。
再民間化とは、政府の力を弱めることではない。再民間化の目的は、病気で力をなくした政府に、能力と力を回復させることである。
[出所「断絶の時代」]
いずれも今の日本の現状を言い当てているような気がしますが、それはドラッカーが歴史を観察してきたからでしょう。
ドラッカーは自らを経済学者ではなく社会生態学者と位置付けていましたが、経済学者の観点ではなく、観察者の視点でものを見て、とらえていたからこそ、普遍的な原則を見いだせたように思います。
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